岡田彰布の学歴。出身高校や甲子園は?早稲田の何学部を卒業し受験は一般入試か?

有名人の学歴

2023年、2024年と阪神タイガースを率いて18年ぶりのリーグ優勝・日本一に導いた岡田彰布監督。

「アレ」という独特のフレーズとともに一躍時の人となったが、その野球人生の土台を築いたのが高校・大学時代だ。

大阪の名門・北陽高校から早稲田大学へと進み、東京六大学野球史に残る記録を打ち立てた岡田彰布。

出身高校での甲子園経験や、早稲田大学での学部・受験方法まで、その学歴を詳しく掘り下げていく。

岡田彰布の出身高校は北陽高等学校

岡田彰布は大阪府大阪市中央区の出身で、大阪市立愛日小学校を経て、私立の明星中学校に進学した。

中学3年生のときには中学野球の大阪府大会で優勝を果たすなど、早くから野球の実力は際立っていたという。

高校は、大阪市にあった北陽高等学校(現在の関西大学北陽中学校・高等学校)へ進学した。

北陽高校を選んだのは、明星中学の同級生の兄が北陽高校で甲子園に出場していたという縁がきっかけで、その同級生とともに急きょ受験を決めたというエピソードが伝えられている。

入学した1973年当時、2学年上には後にプロ入りする有田二三男(近鉄)や慶元秀章がおり、野球部としても実力校であったことがうかがえる。

 

そして岡田は、入学からわずか数ヶ月後の1973年夏、1年生ながら早くも甲子園の土を踏むことになる。

この夏の甲子園では左翼手として出場し、打順は7番あるいは2番を任された。

3回戦では同校のエース・有田二三男が宮崎県立高鍋高等学校相手にノーヒットノーランを達成する快投を見せ、チームは勢いに乗って準々決勝まで進出。

しかし愛媛県立今治西高等学校に2対6で敗れ、ベスト8で夏を終えている。

この大会で岡田は3試合に出場し、9打数3安打、打率.333という成績を記録した。

 

3年生になった1975年、岡田はエース兼4番打者としてチームを牽引し、大阪府予選の決勝まで勝ち進んだ。

しかし決勝で興国高等学校に0対2で敗れ、最後の夏の甲子園出場は叶わなかった。

もっとも、この頃には投打二刀流の実力が評価され、読売ジャイアンツからドラフト指名を検討されるほどの逸材として注目を集めていたという。

結果的に甲子園出場は1年生の夏の1回のみだったが、大阪府内屈指の好選手として高校野球界にその名を刻んだ。

岡田彰布の高校時代のエピソード

北陽高校時代の岡田彰布について語られる際、よく取り上げられるのが「校舎の窓ガラス」にまつわる逸話だ。

岡田が在籍していた当時の北陽高校は、いわゆる校内暴力が盛んだった時代とも重なり、校舎の窓ガラスの多くが割られていたという。

この点について「半分はやんちゃな生徒が割ったもので、もう半分は岡田がホームランで割った」という、いかにも規格外のパワーヒッターらしい伝説が語り継がれている。

真偽のほどは定かではないが、それだけ在学中から並外れた長打力の持ち主として周囲に強い印象を残していたことがうかがえるエピソードだ。

また、北陽高校の1学年後輩には、後にプロレスラーとして活躍する前田日明がいる。

関西では「前田日明と俳優の赤井英和が電車内で喧嘩になり、それを岡田が仲裁に入った」という話が広まったことがあるが、これについては前田本人が「赤井とは沿線が違い、当時は会ったこともなかった」と否定しており、後年になって作られた俗説だったようだ。

そしてもう一つ見逃せないのが、岡田が高校在学中から早稲田大学進学を強く志望し、野球の練習と並行して受験勉強にも本格的に取り組んでいたという事実である。

プロ野球選手として名を馳せる前から、高校1年生の時点で家庭教師をつけて学業に励んでいたと伝えられており、単なる「野球エリート」にとどまらない、文武両道を貫く姿勢がすでにこの頃から培われていたことがわかる。

甲子園でベスト8まで勝ち上がるほどの実力を持ちながら、勉学でも憧れの早稲田合格を目指し続けた高校時代の努力が、後の大学野球での飛躍につながっていく。

岡田彰布が卒業した早稲田大学の学部と気になる受験方法は一般入試が有力か!

高校時代からの努力が実り、岡田彰布は早稲田大学教育学部の体育学科(現在の教育学部教育学科体育学専修に相当)に進学した。

当時の早稲田大学野球部にはスポーツ推薦制度が存在しなかったため、いくら野球の実力があっても一定の学力を備えていなければ入学すること自体ができなかった。

岡田がプロ入りの道を選ばず、まず一般入試での大学合格を目指したのはこうした事情によるもので、高校1年から続けてきた家庭教師との勉強がここで大きく実を結んだことになる。

大学合格後、岡田は早稲田大学野球部への入部に向けて、部が実施する「セレクション」(練習参加による選考)に挑んでいる。

ここで岡田は15打数14安打、14本塁打(本人の著書では「10スイングのうち7スイングがフェンスを超えた」とも語られている)という、桁外れの打撃を披露し、一発で入部を認められた。

まさに規格外の長打力を、大学野球の舞台に入る前から見せつけていたことになる。

入部後の活躍もすさまじく、1976年秋季リーグから「7番・左翼手」としてレギュラーの座をつかむと、東京六大学野球を代表するスター選手だった法政大学の江川卓から3安打を放って一躍注目を浴びた。

2年生からは憧れの選手と同じ三塁手を任され、1978年秋季リーグでは打率・本塁打・打点の三冠王を獲得。

1979年春季リーグでは主将としてチームのリーグ連覇にも貢献している。

東京六大学リーグでの通算成績は88試合309打数117安打、打率.379、20本塁打、81打点という驚異的な数字を残し、打率と打点の記録は2023年時点でも六大学リーグ史上破られていない。

 

卒業論文としては「私の打撃理論。」というテーマで執筆したことが知られているが、実際には卒業に必要な単位が不足しており、正式な卒業扱いとはならなかったという事実も伝えられている。

これは、大学4年生の秋にドラフト会議で当時史上最多となる6球団から1位指名を受け、抽選の末に阪神タイガースへの入団が決まったことが大きく関係している。

プロ野球選手がドラフト指名を受けてそのまま大学を離れ、結果的に卒業単位が足りないまま中退という形になるケースは決して珍しくなく、岡田もその一人だったというわけだ。

つまり岡田彰布の早稲田大学時代を正確にまとめると、入学は一般入試による合格、在籍学部は教育学部体育学科、そしてその後は野球部のセレクションを経て東京六大学野球のスター選手へと駆け上がったものの、プロ入りに伴い単位不足で正式な卒業には至らなかった、というのが実態である。

華やかな大学野球での実績の裏にある、こうした学歴の細かな経緯まで押さえておくと、岡田彰布という人物への理解がより深まるだろう。

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